「花は半開を看る」
桜前線が足早に北上する昨今ですが、中国の古典に

 「花看半開 酒飲微醺 」(菜根譚)

花は半開を看(み) 酒は微醺(びくん)を飲む

「花は半開を看る」(はなは、はんかいをみる)酒も十二分に飲む勿れ」

という話があります。

 満開に咲き乱れている花は確かにきれいですが、すぐに見飽きてしまいます。
それよりも五分咲きぐらいの方に、かえって風情があるようです。

又、酒もほんのりほろ酔い加減がいいのであり、飲みすぎ、酔いつぶれてしまうのは邪道、風流も解せない人であり、酒は味わい深く飲みたいものです。

 まわりから見て、なんの不自由も心配もなさそうな人がいます。
しかし、そんな人に限って意外に深刻な悩みをかかえていたりします。
それに、満ち足りた状態というのはおおむね長続きしません。いや、
そこまで登りつめたら、満開の花がすぐ散っていくように、転落する日も近いと覚悟すべきです。
だからいよいよ悩みも尽きないということになるかもしれません。

 それを考えると、満開、絶頂はあまり誉められた状態ではないかもしれません。
むしろそこまで登りつめないで、ほどほどのあたりが理想ということになります。

 中国の古い笑い話に、次のような話があります。

 昔、貧乏な男が神様にお祈りしました。「神様、貧乏暮らしには飽き飽きしました。
大金持ちになりたいとなどとは申しません。せめて人並みの暮らしできますように、なんとかお願いしますだ」

 すると神様が姿を現してこう語ったという。「なんとふとどきな奴だ。
人並みな暮らしこそ、万人だれもが望んでいる理想の生活なのじゃ。
いきなりそれを願っても無理な相談だ。
せめて大金持ちになりたいとか、今までの生活でいたいとか、どちらかに決めてもう一度やってくるがよい」

 この話は中国人の本音の部分をのぞかせているような気がします。
「花は半開を看る」、五分咲きぐらいのサクラの風情もなかなかのようです。