「空蝉(うつせみ)」
 久しぶりの晴れ間がのぞいた午前、蝉がこの時とばかりに狂おしく鳴いています。

 何年も土の中で過ごし、脱皮して鳴けるようになった蝉は、そのわずかな期間を精一杯生きます。そのような蝉を、人間の生まれ変わりとする伝承が各地に数多く残っているそうです。

 蝉の抜け殻を「空蝉(うつせみ)」と呼びますが、もともとはこの世に生きる人という意の「現身・現し臣(うつしおみ)」が語源で、現世という意味も持ちます。

 空蝉という言葉は、樋口一葉の短編や源氏物語の表題にも使われ、万葉集などでの「うつせみ」は「人」や「世」にかかる枕言葉です。
蝉の儚さ、空蝉のすぐに壊れてしまいそうな脆さや危うさは、まさに「人」であり「世」であるような気がします。
 
 ちなみに源氏物語に登場する空蝉は作者である紫式部自身がモデルではないかと言われています。
たった一度だけ肌を合わせたものの、その後は拒絶を続けた空蝉は、源氏にとって生涯忘れることのできない女性として描かれています。

 また、一葉は「とにかくに越えてをみまし 空蝉の 世渡る橋や夢の浮橋」と詠み、儚い世の中なれどとにかく生きていこうとの思いを歌にしています。