「端午の節句(旧暦)」
 昔、中国の楚の国に屈原という高潔な人物がいました。
清廉潔白で一途な生き方が災いし、讒言によって国を追われた屈原は、ある大河を前にして、思うようにならない濁世(濁り汚れた世の中)を嘆いていました。

 そこに通りかかった漁夫は、「世の中が皆濁っているなら、なぜあなたもその泥を濁してその波をあげないのか。皆酔っているなら、なぜあなたも酒かすを食らい、その汁をすすろうとしないのか。
そのようになぜ深く思い憂い、世俗から高く越えて、自ら放逐されるように振舞うのか」というようなことを屈原に言ったとされます。
それに対して屈原は、潔白なこの身が世俗の汚れをどうして受けられようかと答えました。

 漁夫はただ微笑みながら「滄浪の水が澄んでいる時は、冠の紐を洗えばよい。滄浪の水が濁ったのなら、自分の足を洗えばよいではないか」と言い残して去っていきます。
屈原はそれを否として川に身を投げたそうです。

 世の中を嘆いて身を投げた屈原と、ふてぶてしく生きる漁夫、皆様はどちらに共感しまか?

 ところで、昨日(旧暦5月5日)は、川に身を投げた屈原の命日だそうです。
人々は屈原を探すために川に船を出し、遺体が魚の餌にならぬよう大きな音を立てて魚を追い払ったり、屈原の遺体が魚に喰われぬよう、または供養のため屈原の好物だった粽(ちまき)を
川に投げ入れたと伝わっています。

 現代中国の「端午節」は、古代中国の楚が起源で屈原を偲ぶこの風習と、邪気を払うと考えられていた蓬(よもぎ)で人形を飾ったり、菖蒲(しょうぶ)酒を飲んで健康を願った風習とが合わさったものです。
 
 中国では今日明日は端午節のため連休で、故事にちなみ各地でドランボート(龍船)のレースが行われたり、粽を川に投げ入れて屈原の供養祭が行われ、国の安泰や無病息災を祈願するようです。

  中国が起源でありながら端午の節句を「子供の日」とするのは日本独自のものですが、粽を食べたり菖蒲で邪気を払うのは中国伝来の風習です。