「残る桜も 散る桜」
桜の見ごろは今週いっぱい。地面には散った花びらも多く見られます。

 桜は観て美しいだけでなくその散り際の潔さも古くから愛されてきました。

 一休禅師は「花は桜木 人は武士 柱は檜木 魚は鯛 小袖は紅葉 花はみよし野」と自分の好みとして世の中の第一級のものを詠いました。
「花は桜木、人は武士」の言葉は歌舞伎でも使われるようになり、本居宣長の「敷島の 大和心(やまとごころ)を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」の歌で桜の花は一つの象徴となっています。

 また、散り際の儚さは諸行無常に通じ、良寛禅師の辞世の歌と言われる「散る桜 残る桜も 散る桜」にもそれを感じます。


 「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山かぜ」
                            (蒲生氏郷)

 「さだめなき 風にまかせて 散る花を 花とばかりに 思い眺むる」
                            (詠人不知)

 「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
                            (細川ガラシャ)

など、桜の花に例えて人の世の儚さを詠んだ歌は少なくありません。
又、47歳の生涯の大部分を貧困と孤独の中で暮らした作家・林芙美子の次の言葉も有名ですね。
 
 「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」