「敬老の日」
 昨日は敬老の日でしたが、長年の労に感謝し年配者を敬うこの習慣は聖徳太子の時代にまでさかのぼります。

 「敬」という字は「敬意・敬愛」の「敬」です。当たり前のことですが、敬う心は信頼の土台の上にあります。
信頼があって敬意があって、その上に良き社会、良き人間関係が築かれて行きます。

 ところが、”事務所費問題” や ”業者との癒着” など政治家や官僚の汚職が相次ぎ、教員採用試験でカネが動き、又食品偽装の事実が次から次へと表沙汰になっています。
このような状況では、子供のみならず人々は自己が属する学校や社会への敬意を失ってしまいますね。
現在繰り広げられている政治劇も、「永田町での出来事」と、ある種冷めた見方がされているのも、政治に対する信頼と敬意の喪失が根底にあるのでしょう。

 米金融界ではメリルリンチが立ちゆかなくなり、158年の歴史がある老舗証券会社リーマンが破たんしました。
破たんする企業の株価は急落し、社員は前向きな仕事は手につかず、小声で自社の先行きの話が ”こそこそ” と交わされるようになります。
そうなってしまうと、社員の士気を取り戻すことは難しく、再建することも困難になってしまいます。

 信頼と敬意、自信と誇り、前向きな姿勢を失うのは簡単ですが、それを取り戻すことは容易ではありませんね。

編集 yattyan : 十六夜さん!コメントありがとう。(^^)政治・経済の方は仰る通りですね。父上は御寿司が好物ですか?喜ばれた事でしょう。今日も銀座の方が当番で、夜も来客があり、現地で一杯飲ります。(^^)
編集 十六夜 :  我が家では一日遅れの「敬老の日」を昨夜しました。海老、うに、いくら、とろ。。贅沢三昧して貰いました(微笑 
編集 十六夜 : 日本の保険会社が軒並み破綻したときも、営業担当者は既存の顧客へ説明をすることは許されず、受け皿となった外資の会社での自分の身の置き所を確保するため、血眼になって奔走していました。 寄らば大樹の蔭、という論理はもはや 絵空事でしかなく。。大変な時代だと思います。