「五月蝿(さばえ)」
梅雨入り前の今は清々しく過ごしやすい時期ですが、陰暦の五月はもう少し先でちょうど梅雨の時期にあたります。

 その頃に湧き出し群がり騒ぐハエを「五月蝿(さばえ)」と言うそうで、「五月蝿なす」は「騒ぐ」や「沸く」にかかる枕詞です。
後世、「五月蝿い」と書いて「うるさい」と読ませたのが夏目漱石です。

 日本書紀に登場する五月蝿はハエではなくハチのことだという話もありますが、衛生環境が今とは違う昔はハエの数も半端ではなかったのだろうと思います。

 ところで、ハエに関する話を一つ。

 ある和尚のところに資産家がこの先どうしたらいいか相談しにやってきました。
資産家は苦しい現状を話し、進退窮まっている状況を嘆いて懸命に話すのですが、和尚はボロ寺の破れた障子と飛び回るハエのほうばかりを見ていて、聞いているのかいないのか。

 たまりかねた資産家が「和尚、私の話を聞いているのですか?」とたずねると、和尚は「かわいそうに、このハエは外に出ようと何度も何度も障子にぶつかっておるワ。
ボロ障子であちこち破れて穴が開いているのにのぉー。」

 資産を築いた人物だけに、これを聞いてハッとします。現在の自分はこのハエと何ら変わらないではないか! 目先のことにとらわれて、実は何も見ていなっかた自分に気づきました。資産家は丁重に礼を言って寺を辞したそうです。

 人は時に、些細なことにとらわれ、悩み苦しみます。
大河の中、下流に行きたいのに一本の杭に引っ掛かっているようなものです。
引っ掛かっているならまだしも、自分の手で掴んでいて、困った困ったと言っていることが案外多いのではないでしょうか。