18リットル缶/日の灯油消費家庭 1973年10月オイルクライシスの波及251217ー2-
 18リットル缶/日の灯油消費家庭 1973年10月オイルクライシスの波及251217ー2-
 2025年12月17日の午後。刊行物の出版で集まった数人の男性たちと、ここに紹介“1974年問題”を小一時間、語り合った。
 「まだ独身で下宿の部屋、反射式ストーブを置き細々と暖房」(1974年5月は23歳)。「実家住まい、石油と石炭を半々くらい」。

 さきだち昭和41年冬。日東炭鉱(株)労働組合の委員長と書記長が話題にしていた場所に出合わせた。
 委員長「そりゃー暖房は石炭に限る、最近、書記長は灯油ストーブに代えたそうだが、今にみておれ」。
 共に近視眼メガネの書記長が応じた。「一冬使ってみろ、なんとかなる」「そりゃー、楽だぞー」。
 所は炭鉱住宅長屋の一室。石炭産地のどまん中で、しかも労組幹部の論。時代を象徴すること。黙って聞いていた。筆者そのとき22歳。

 採暖は、石炭ストーブ「ルンペン」から、石油ポット式ストーブの移行期にあった74年。
 灯油燃料の20円アップは、各家庭で年間2000リットル使用で、4万円の負担増。
 さきの会合では誰かが「一丁43円の豆腐が70円になって驚いた」と会議の始まる前に。新聞紙面に「狂乱物価」の見出し。
 その意味するところは「狂乱物価=昭和49 1974年に日本で起こった物価の異常な高騰のこと」とされる。

 事態はそこで収まらず。
 都市部では、極端な「生活必需物資不足」に「買占め・売り惜しみ」の広がる地域も。
 日本中部地方の信用金庫で「倒産かもの世間話」が発端で、取り付けの客が集中の事態も。