18リットル缶/日の灯油消費家庭 1973年10月オイルクライシスの波及251217ー1-
 18リットル缶/日の灯油消費家庭 1973年10月オイルクライシスの波及251217ー1-

 1974年5月31日、道内紙の市内配布版、そのトップの見出しに「灯油価格20円を40円に 明日から」趣旨の見出しが掲載された。
 当時、筆者は市民のコミュニティ事業を支援する部局に発令されて3週間目。
 上司にあたる物価対策緊急会議事務局長(課長職)は出勤するやいなや、石油卸売商業組合長にさっそく、紹介の電話をかけ始めた。

 続けて元売り業の出光・日石・共同石油の主要スタンドで、価格推移の動向を収集。
 「やっぱり、一大事だ」。30歳事務屋の感想であった。
 時に私は通勤列車の車中で釧路・根室国を配布対象とする新聞を手に、同様の記事を読んでいた記憶がある。
 故に「事態の正確な把握」に加えて、その後の自身の果たす項目を思いめぐらしつつ、降車駅と仕事場で1キロほどの道を急いで記憶がある。

 今、『TOYOTA トヨタ自動車75年史七十五年史』では、「第4節 石油危機への対応」「第1項 第1次石油危機への対応」を設けている。
 石油危機の影響が「自動車の販売台数も消費マインドの冷え込み」「ガソリンの不足、価格の高騰などによって激減していった」。
 当代一の大手企業にして、営業領域への影響の大きさ。そこに目を注ぐことだ。

 当時の自宅は、間口5.5間×奥行2間(そのころ11坪、36.3平方メートル)の法人管理棟。
 1970年秋。坪 3.3×3.3平方メートルあたり、10万円を切る価格設定で建てれた住まい。
 「厳寒期の灯油消費量は日に18リットルポリタンク、ほぼ一本」。筆者は厳寒期の冬、受槽タンクへの給油量満タンにするサマを眺めて考えていた。