CD版ながら、釧路市の公式ホームページかものアクセス可能 『釧路炭田その軌跡』(釧路市 2003年)
 CD版ながら、釧路市の公式ホームページかものアクセス可能 『釧路炭田その軌跡』(釧路市 2003年)。

 主宰者の紹介に着目しておこう。
 「約500枚の写真、9本の記録映像(動画)などをCD-ROMに収め、釧路地方の石炭産業、とりわけ太平洋炭礦(株)が作りあげてきた歴史と技術の記録」
 「釧路地方に石炭があることは、1880年ころつくられた本に書かれ」「釧路炭田の石炭埋蔵量は約20億トンと推定」
 「現在の釧路町別保で石炭が発見されたのは明治26(1893)年のこと」「春採の炭鉱が安田家によって経営されたのに対し、別保では山縣勇三郎が経営する釧勝興業という炭鉱会社」

 北海道東部で開発された釧路炭田は、概ね三資本系列の炭鉱群が知られる。
 三井=太平洋炭礦春採坑、三菱=雄別炭礦雄別坑・尺別坑・茶路坑、明治鉱業=庶路坑・本岐坑。
 炭質は粘結性の低い一般炭(動力燃料用)、粘結性の高い原料炭(製鉄・コークス用)に分かれるも、1950年ー55年に大小20程の炭礦が稼働。

 水平坑道と硫黄分、それにガス発生の少ないことに支えられ、機械採炭が発達し、本邦最後の「坑内掘り炭鉱」で存続した太平洋炭礦。
 2002年1月の閉山後、激変緩和策で進められた地域緊急雇用創出制度の対象で実施。
 その事業の成果品として納入された。

 検索サイトで「釧路炭田その軌跡」と入力。
 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/home.html で読める(但し、「動画9本」は現在、アップされていない。