11)阿寒の帝国公園化 大正5年春採公園計画=発意、確信に 釧路の街の魅力ABCD26題―6-240217 
 11)阿寒の帝国公園化 大正5年春採公園計画=発意、確信に 釧路の街の魅力ABCD26題―6-240217

 ●大正9年~同10年にかけ、自身70歳から71歳の<齢 よわい>に至り、到達した心境。まず、そのように推測することから話を始めておきます。
 請願書を提出するに至る「国際的にも、学問的にも阿寒の自然は尊く」「次世代を楽しませるためには国民に<神様の領域>を意識」してもらわねば。
 それは<強い決意であった>のですが、その確信と決断は、スライド6に示す「大正9=1920年」に起きた、三つの出来ごとにより、決定的となりました。
 そこに書かれている点は、前田家がすすめてきた<開発事業の見直し>であることが第一点。二点目に、「(自身が)善かれとすすめてきた『今の日本を豊かにする』施策」よりも、『未来の日本のために<次世代にも感動を楽しませる>に転換』する決断です。
●大正9年8月に釧路川大洪水があり、ほかに阿寒川で水力発電開始等重要事項が。
 ご指摘の二点。どちらも深く関係しています。
 大正9年は一に水力発電がはじまりました。太平洋炭礦=坑内掘炭や、冨士製紙釧路工場=製紙業が操業を開始しました。発電でモーターを動かし、軌道輸送=交通の近代化で製品を運ぶ大きな変化です。
また、阿寒湖畔や釧路川の木材主産地→斜里・樺太移転、木材輸送は流送から軌道交通に転じました。釧路地方で永く続いた「木材ブーム」が終わります。さらにはご指摘の「釧路川大洪水」。