6.承 3年抑留、シベリヤ開発労働力の1948年250624北海道教育大学
 ナホトカの地で、行き先はシベリヤと決めれた。カムチャツカ半島方面で強制労働に従事の可能性もあった。

 著者が身を隠す。そこを理解し受け入れてくれた農場主は、カムチャツカ方面へ。「恩人に報えられず」。

 心、悩ませた点であった。過酷な労働が待っている。服役者に畏れられていた点であるからだ。