日蓮
天命&致命 ラジカル化した師匠に習う門弟またラジカル化 知命=50歳の決断

 南都北嶺の信仰(律、華厳、法相、俱舎、成実、三論+真言、天台)に「教判=自宗の立場から他の仏教を位置づけ」。
 教判には段階的、統一的とする、他者を肯定する思想がある。
 空海の立場では、1)真言密教、2)華厳仏教、3)法華仏教

 1268年、文永5年。蒙古は国書を本邦に届ける。時に日蓮は48歳。
 まもなく「知命=50歳」に近い日蓮は二つの思いに<かられる>。
 天命=法華信仰を弘めることにささげる。致命=余命いくばくもない今、いままで以上に法華信仰の弘通=ぐずう に捧げる。

 この決意は、「ラジカル化した師匠に習う門弟またラジカル化」に展開。
 思想的に「是一非諸 ぜいちひしょ 一を肯定し、それ以外を否定する立場」(ただし「是一非諸」は日蓮を批判し、日蓮を幕府に訴えた人々のキーワード)に傾斜。
 鎌倉新仏教の特質=「選択 せんちゃく」と「専修 せんじゅう」が「教判=段階的、統一的」から「一を選び、(他を)全部否定」の見解に。

 栄西・道元=只管打座、法然・親鸞・一遍=専修念仏、日蓮=専唱題目。訴えをうけた幕府は、日蓮とその門弟、くわえて蒙古襲来にあわせて坂東在住の反社会的=悪党的行動階層を一掃(「文永8年の法難」=佐渡流刑)。
 (高木豊談「日蓮―鎌倉仏教の諸問題ー」 国立教育会館編集『教養講座コース43 歴史を動かしたひとびと』 149~160p)