遊歩庭園の内苑&葬場の外苑 明治神宮 森 本多静六201103
 遊歩庭園の内苑&葬場の外苑 明治神宮 森 本多静六201103

 体の弱かった昭憲皇太后のために明治天皇が遊歩庭園として整備した東京府下豊多摩郡代々幡町(よよはたまち)代々木に内苑(社殿と林苑)。
 内苑から少し離れた明治天皇葬場殿跡の敷地27.3ヘクタールに外苑を造営。
 (上原敬二)「日本には日本式庭園や神社林、陵墓などの日本独自の造園がある」
 (そこに共通するのは)「生命力を実感させる永遠性や自然性、深い奥行きを感じさせる空間性や精神性」。

 「第三、神社林は多種の樹種で構成する」
 「政治家からは伊勢神宮のようなスギ林にすべきだと強く要請された」が、
 「林学的な見地から、この土地は水分不足であり、隣接地を走る汽車のばい煙により枯死するためスギは不適である。さらに植栽樹木を自然林へと遷移させる」

 1912年7月に崩御されると、翌々日
 東京市長の阪谷芳郎(さかたに・よしろう、1863-1941)や実業家の渋沢栄一(1840-1931)らが「明治神宮の創建」を提唱。
 内苑は国の予算で、外苑は国民の寄付で実現すべきだという方向性までも明記。
 (進士 五十八「明治神宮の森: 林学者や造園家によるナショナルプロジェクト」 2020/6/10  https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00866/)

 明治神宮は二度訪問。
 一度は2002年元日の午前。山手線で訪れた。二度目は2010年のことであったか11月8日のこととおもう。
 今、「エリートの壁」に辞官した人物が、「自然の威力」と「地域の知恵」に刮目しつつ、政権を担うエリートに「イヤとは言わせず」「その通りにしないと国際的に見識が疑われる」に誘導した人物を記載している。