戦時沈没船整理、海難船遺体引き上げ、公共海底工事 「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」221212
 戦時沈没船整理、海難船遺体引き上げ、公共海底工事 「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」221212

 潜水病との出会いの日々。犠牲者や障害者を輩出してきた、厳しいプロセス。
 nhkBSプレミアム1987年の初回放送。
 ぐるっと海道3万キロ「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」 

 話は、戦後復興期に始まる。敗戦国、というより仕掛け人と国際的批判にあった戦時沈没船の整理。
 往時、我が国の海軍が戦況を拡大した過程で、撃沈されて沈没した艦船を整理する作業に、三陸・岩手の潜水士が動員されていた。

「コメがダメでも、海に潜ればカネになる」。三陸海岸で潜水士のマチの合言葉であったらしい。
 必ずしもコメ・稲作地帯とは言い難い東北で、農業を補完する業種として水産が選ばれても、決しておかしくはない。
 戦後復興期を経て、大量輸送の物流、ヒトの輸送で船舶は大型化した。

 1954年9月26日。洞爺丸台風で青函連絡船の遭難。
 遺体搬出に三陸の潜水士が要請された。「掻き出しても、掻き出しても土砂が船内に流れこんできた」。
 「あの悲惨な場面は、今も記憶に鮮明」。従事者は語りかける惨状であった。

 そこが一段落。日本経済の伸長期には公共工事があいつぎ施工された。
 海峡大橋の建設、港湾防波堤や接岸岸壁の基部。三陸の潜水士たちは、戦時沈没船の現場から東南アジアの海底土木公共工事へと、その需要を伸ばしていた。
 昭和26年。腕利きの潜水士が潜水病で病没。幼子と若い夫人を残して犠牲となった。

 ぐるっと海道3万キロ「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」 nhkBSプレミアム1987年の初回放送。

 (番組案内)
 大井磯美さんもその一人で、南部もぐりの三代目。世界中の海で潜水し、船の引き上げや海中での工事に活躍してきた。地元の種市高校には、全国でもただ水産土木科もつ高校。