雑穀出荷
雑穀集荷と出荷のシステム 1930年前後の釧路港220922―前―

 1998年3月に紙面に投稿、のちに出版したのがすっかり失念していた。
 紙面には「くしろ歴史の風景」、釧路新書では『街角の百年』。そうした枠組みであった。
 発端はと申すと『市制施行十周年記念 写真帖』に掲載されている二点の写真を紹介したことが発端であった。

 二点の写真のうち、その一点を今回、掲載しておきましょう。
 今回、9月22日午前10時 釧路フイッシャーマンズMOOを出発し、説明のポイントは「1)下渡船乗降口」「2)原田御殿」「3)檜森神社―幸町―」にあった。
 「ケシカラン」。そうは申さずに、また、2023年9月にあるきましょう。

 今回はその下準備に「トンケシの新字名」
                   1998年3月2日 『釧路新聞』文化面掲載か
 旧頓化(とんけし)には寿町・南浜町・仲浜町が設定され、頓化と旧西幣舞とにまたがって、浪花町が設定された。寿町は寿尋常高等小学校が既にあったので、児童の健康を祈る意味合いをこめたのだという。南浜町と仲浜町はどちらも、釧路港の整備につれて、それぞれ「釧路港の枢要地帯」と「重要商業地区」への発展を期待して命名されたもの、とする。
 さて、浪花町は次のように紹介されている。
 (浪花町の)中央やや東寄りに地方費道(今日の国道)が貫通している。この路線は火防線となっていて、商業地に適している。今や多数の営業倉庫と撰穀工場(豆選り工場 写真)が並び、農産物の集散地区を形成する。このため、北海道農産物検査所釧路支所があり、汽船と貨車をむすぶ鉄道省による海陸連絡設備が完成すれば、一大発展を遂げ、その繁盛こそ大阪にあやからん事を祈り、浪花町とする、と。