無関心
 「無関心で居ても、無関係では居られない」 「谷口たかひさZoomお話会(海ねこみなと会)」220509

 先日、「谷口たかひさZoomお話会(海ねこみなと会)」の参加呼びかけがあった。Zoom会合ということで、「参加のお誘い」に応募させていただいた。

 「今、身近で起きていること」。
 さすがに精緻で、<見所、聞き所>は満載。豊富にして精緻な構成は、示唆に富み迫力が、それは申し分なくあった、ですよ。
 「8割のヒトに『カード一枚分のマイクロプラスチック/week単位』で血液に混入」
 「<森林火災>牛の飼育のため森林を無駄にしている」「飼育の肉牛が発するゲップ成分=メタンガスは炭素の23個分にあたる」→食糧問題で資源争いが生まれ。
 「<オバマ大統領は申した>自然ではなく、平和が失われる」。

 メモを正確に取った。
 とてもそうとは申しがたい組み立ての展開であった。演者は関西で学び、「ドイツで会社、その役員」という紹介であったと受け止める。
 話題の途中で、発電の優先順位。火力か、原子力か、自然再生エネルギーの議論になった。そこで「自然再生エネルギーを最優先に」。そのように申されたと記憶する。

 そこで思い至った。
 本邦で起きた福島原発の事故後、ドイツは脱原発に踏み切った。
 「欧州で原子力発電を再評価する動きが出るなか、ドイツが「脱原発」を着々と進めている」とも、書かれることがあるではないか。
 1)ロシアのウクライナ侵攻。EUは軒並み制裁を打ち出すも、ドイツの「脱原発」は変更があるのか。

 そのドイツでは、自然再生エネルギーへの傾斜の結果、「太陽光パネルが自然景観を損なう」。 そう指摘された点があった。
 2)どのような線引きが実際には行われ、現状はどのように推移しているのか、現場の声を聴きたいと考えた。

 3)釧路炭田を擁する当地方は、「炭鉱閉山&印刷用紙業撤退」の代替に、「地産地消や輸入炭による火力発電」に継承された。それもこれも「時代遅れ」「悪影響」「地球危機」で整理することになるのか。
 確かにそのいずれもが、「脱炭素」「紙需要蒸発」「非製造物主義」の時代には「認めがたく、許しがたい」対象ではある。
 
 一方、自然再生エネルギーへの傾斜。
 我が<ふるさとの山>には太陽光発電のパネルが目をうばう。往時は立派な山林。石材採取で樹木は伐採されるも、まだ、残っていた。
 その山に、今は太陽光発電のパネル。自然再生エネルギー確保のために、山林伐採。本末転倒ではないか。

 加えて山林の近くには「分水口先」には移植牡蛎の増殖、出口ではシングルシード牡蛎の養殖。「対策を施してある」とは言われながら、その結果は「将来ありうること」ではないのか。
 「無関心でいられるヒトは居ても、無関係で居れる人はいない」の言が思い。
 書影は『牡蠣の森と生きる~「森は海の恋人」の30年 ~』 2019/5/21 畠山 重篤 (著), 鵜飼 哲夫 (著) 中央公論新社。