​​<あるモノ発掘>で、<地域に意味>」の発見 地域に付加価値創出の博物館的思考211022.ー後半ー
 先年10月22日、釧路地方の地名を考える会で講演した内容の要旨が公開されました。
図書館資料は精緻にして豊富な内容で構成されているも、<記載内容で見落とし>かつ<イメージが固定される>ことも内包する枠組みを超えてゆく可能性が「博物館的思考にはある」。そうしたことを明示しようと試みました。

釧路地方の地名を考える会の坂下民男さんが、『釧路地方の地名を考える会々報』のなかで、まとめてくださいました。
このほど発行されたことを機会に、その内容を示させていただきます。

(以下、掲載文ー後半ー)
講演会の後日、佐藤宥紹氏にお願いして、特に、図書館視点と博物館視覚(視点)について具体的にお話いただいた。以下はそのお話の要旨であるが、当会への貴重な提言も入っており、改めて感謝いたしたい。
 1)尾幌川はその長さを21Km余とする統計がある。他方で尾幌川は46Km余とした数値があった。なぜそうなるか。それは尾幌分水が開かれ、流れが上流、中流、下流と三分された。流路に廃川・古川化の変化を生んだ。前者は源流部から分水河口までの距離。後者は源流部から厚岸湖にそそぐ河口までにあたる(配布資料)。
 2)次に尾幌川流域の遺跡分布を「北の遺跡案内」で検討した。流域で確認できる遺跡は河口、太田屯田兵村入植地、尾幌川中流域に張り出した丘陵縁辺部に分布する。また時代が判明する遺跡は縄文中期、つまり地球が温暖で海水が泥炭地の奥に入り込んでいた状態(縄文海進)が、後退し始めた時期以降にあたる。
 3)尾幌川でも、特に尾幌原野や別寒辺牛湿原は泥炭湿地に覆われている。そのため遺跡は、尾幌川流域そのものよりも泥炭湿地に張り出している丘陵辺縁部に立地する。
4)特に2)と3)は、先史時代=考古学の調査成果により浮かび上がった点。つまり博物館視覚で地域の枠組みを眺めてきた結果である。対して1)は、移住者の残した記録や機関で作られた図面による結果である。移住者が出水被害を受け、公共は分水を作った。そこで尾幌川の形状や流れる水量に変化が生まれた。いずれも現状と記録によって判明する事柄で、そこは図書館視点からの、地域に対するアプローチとなる。
1)「地名を考える会」は地域への接近方法として、博物館の視覚=先史時代やアイヌ民族の伝承記録・地名語源などを、さらに重視されてはどうか。それが地域を解釈するうえで、視点の深化や視覚の拡大をもたらす。これまで見落としていた点を明らかにし、地域に対する評価や可能性を豊富にできる。そうではないだろうか。