越前・越中・加賀国に白山比咩(しらやまひめ)信仰 白山信仰220326
 越前・越中・加賀国に白山比咩(しらやまひめ)信仰 白山信仰220326

 史跡国泰寺跡にも記載のある白山信仰。
臨済宗寺院になぜ?。そうした思いをあたためてきた・・・・・が。
 流布中の解説には、道元禅師にまつわる次の伝承をまず、記録する。
 「日本曹洞宗の道元禅師(高祖承陽大師)が宋から帰国する前夜に、白山権現が碧巌録の写本を助けたとの伝承がある」。
 「このことから曹洞宗大本山永平寺は、白山権現を永平寺の守護神・鎮守神としており」、
 「毎年夏には永平寺の僧侶が白山に参詣して奥宮の前で般若心経を読誦する」。

 本来の解説にもどって、「白山信仰とは」。
 「越前、加賀、美濃三国にまたがってそびえ立つ白山を対象とする信仰」。
 「『越のしらやま』として詩歌に詠われた白山は、富士、立山とならび『 日本三名山』」のひとつに数えられる秀麗な峰」。
 「白山に源を発する九頭竜川、手取川、長良川流域の人々の間から、また相前後して日本海で白山を航路案内とする漁民の間から自然に発生したもの」
と、考えられている。

 江戸後期のアッケシ。
 松前に拠点をもつ商人の漁業経営、大河の恩恵にささえられた漁業資源を、遠隔地間交易の買い積み船が加賀国橋立から通船する地。
 しかも、東北からの出稼ぎ者に多い、曹洞禅の開祖に対する敬意をこめて、蝦夷地寺院僧侶は廻勤したか。
 「臨済宗寺院にあるまじき信仰の重層性」。そうは申さずに、蝦夷地寺院の取り巻きに及ぼす寛容性と受け止めておく。