「合掌」がモチーフ、鯨の顎骨に起因 栄町平和祈念塔
「合掌」がモチーフ、鯨の顎骨に起因 栄町平和祈念塔。

 釧路市栄町七丁目に設けられた記念塔。昭和60年、戦後40年を期して核廃絶平和都市宣言を起草した節目の事業。
 市立博物館に展示されていた鯨の顎骨を、立てて展示していたことに端を発する。

 昭和30年代に木柱が用意され、40年代に碑文が配置されたが、60年さらに規模を大きくした。
 戦災慰霊が、戦災記憶伝承にかわり、平和祈念に止揚されたというべきか。

 住宅密集地であった栄町五,六,七丁目。
都市計画法適用をうけ、都心の被災地に空閑地とすることが予定された。そこに昭和20年7月14日、15日の米軍空襲。
 
​ 一帯は火の海となり、地中に掘られた防空壕は、延焼した家屋に出口をふさがれ、避難の市民は<ムシ焼き>の脅威にさらされた。​
 家屋を焼失してしまった空閑予定地はたちまち、被災焼失材の集積地に指定された。「栄町公園」。


  
 公園造成
 それは戦災復興事業で後押しされた。市役所の橋北支所があり、栄町児童館も設けられた。

 祈念塔が設けられ、公園名は「栄町平和公園」。そのように改称されて、今に至る。