教王護国寺文書 赤松俊秀
 『教王護国寺文書』が「東寺百合文書」を紹介していると、最初に知った.その編者が、赤松氏であることも承知していた.

 吉川弘文館の人物叢書に、『親鸞』を記載して『鎌倉仏教の研究』や、その後の『続鎌倉仏教の研究』が基盤になっているのかと、思うようになった.

 モノごころついたときには、京都大学教授の肩書きであったから、国立大学で宗教思想史専攻も希有のとと、おもっていたが.

 赤松俊秀氏が、北海道生まれとは知らなかった.もとの鷹栖町.
大谷派の末寺で次男にあたるそうで、しだいにつながってきた.

 ただ、それはネットでの人物紹介のなせるワザ.学界サイドの伝記では、私記にそこまで記載がなかったと、おもう.

 永年、知らなかったこと、ネットで知ったが、ネットの記載には<ウラ>をとることが必要とされている、が.