司馬遼太郎著『関ヶ原』(上)
 今週から読み始めている。豊臣家、家臣団が分裂してゆく過程。三成のもとには、懐刀の左近が選ばれ、布陣はととのう。

 秀吉が没し、秀頼が京都から伏見に移る。移転のくわだては三成主導ですすむ。

 家康と奉行間の溝。その奉行間にも三成と朝鮮渡海の清正、小早川らに溝が深まっていく。

 三成の打つ手に家康はそれを逆手にとった対抗策。三成はあろうこと、家康陣営に身を寄せる。さて。

編集 ペン : 家康は如何にして豊臣恩顧の武将を味方につけたのか?そこには見事なまでの心理大作戦が有った・・らしい(見てきた訳ではないので)三成は家康の下に逃げ込んで命は助かったけど結局これが因でご勇退になってしまうのですよね