超合理
 科学の思考姿勢を合理的と称し、結果の説明を合理性というではないか。これに反して非科学的な態度を不合理、非合理と申して、回避か軽蔑に走る。

 いつぞや「超合理」なる概念のあることを、教えられたことがある。すでに30年以上も昔のことながら。

 25日のNHKテレビ、その朝ドラ。婆ちゃんのつくる《ダシまきタマゴ焼き》がおいしいと、孫がレシピ記載をするシーンがあった。
 婆ちゃんの所為を眺めながら、孫が記録をつくる。婆ちゃん「塩少々」。孫はすかさず問い直す。「何グラムですか!!」。婆ちゃん「そんなのわかるかい、ひとつまみだよ」。孫は不満。「だから何グラムなの?」。

 どちらも、間違っていまい。孫の主張する塩分濃度の確認は、すこぶる科学的。
 然らば目分量で塩をふりまく婆ちゃんの手法は科学データに拠って居ないからといって、「だから年寄りは非合理的でダメ」とは言えまい。
 結果は「おいしいダシまきタマゴ焼き」ができあがる。

 孫の塩分計量は科学的だが、婆ちゃんの目分量は非科学的とも決め付けられない。合理的ではないが、合理を超えた、言うに言われぬ世界。それが、非合理でも、不合理でもない、「超合理」の世界かも。