「三十六計、逃げるにしかず」
台風や豪雨などでは、風雨が強まった後に避難しようとすると危険なため、早めに避難することが大切。自然災害のようにどうあがいても勝てない場合には「三十六計、逃げるにしかず」です。

 上記の言葉の出典となっている「三十六計」とは別物ですが、中国の民間においては「孫子」よりも日常生活で幅広く流用されているのが「兵法三十六計」です。

具体的に説明しますと「勝算が無ければ、逃げるのが最善の策だ。逃げることは負けるのとは違う。
勝ちではないが、負けるということでもない。全滅しては再起は計れず。兵力を温存し、次の機会に備えよ」となります。

 ところで、三方ヶ原の戦いで武田信玄の大軍に惨敗し、わずかな手勢と共に浜松城に逃げ帰った徳川家康がとった戦略が兵法三十六計の第三十二計「空城計」であると言われてます。

 すでに野戦に敗れ、圧倒的に優勢な敵軍を相手に城に逃げ込んでも、最終的には補給線を断たれ降伏を余儀なくされます。
そのような時、自軍の兵力で劣る場合の窮余の策として、敵将に自軍の戦闘能力を錯覚させるのが空城計。
敵軍を前に城門を開け放ち、敵を引き入れようとする構えを見せれば優秀で用心深い指揮官ほど逆に警戒するものです。三方ヶ原の戦いに敗れ、城に逃げ帰った家康のこの空城計に、敵将は警戒して引き返してしまい、家康は死地を脱することが出来たそうです。

 ちなみに、家康が城に逃げ帰った際に絵師に描かせた自画像が、有名な「徳川家康三方ヶ原戦役画像」で通称「しかみ像」。
苦渋の表情が描かれたこの絵を、家康は終生手元に置いて軽挙妄動・慢心の自戒としたそうです。
家康は三方ヶ原の戦いで全滅を免れたことによって、結果として最大の力を有するに至ります。

*「しかみ像」の画像
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=18704