「あたしは唯の根無し草だ」と
 何と無く自分について考察。

 自分の日記を読み返してました。Web上にある日記ではなく、僕の手元にある僕の手書きの日記を。
 京都に着てからの僕の記載は、事物に厚く、人事に薄くなってました。
 京都で行われるイベントについての記述の勢いに比べて、京都に着てから出来た友人達の記述のなんと淡々たることか。
 特定の一人か二人については何をどうしたとか細かく書いてるけど他の人は名前だけで特に記載ないですよ。
 そんなに僕は周囲の人間に興味を憶えていなかったのだろうか。

 思うに、僕にとっての京都生活は長期の観光なのではないでしょうか。
 僕には京都に来た確固とした目的があるようでいてありません。僕の夢は京都で無くても叶えられるものです。
 僕は刺激があり過ぎて辟易していた地元での生活を投げ捨て、かつて興味があり知識を持っていた京都に来た結果、古都京都の現在の姿を見る事そのものを目的にしてしまったのでしょう。

 だからこそ、僕は京都の寺社仏閣の姿や自分が見た伝統行事を事細かに自分の日記に記載しているんじゃないでしょうかねぇ。
 京都に居る限り僕は地元での出来事に巻き込まれず平穏な観光客として滞在出来ますから。