重三節供
 今日は三月三日、重三(ちょうさん)の節供の日です。上巳の節供とも云い、今の日本では桃の節句と呼ばれてますよね。
 僕の実家では今年も御雛様を出しておりません。出さなきゃならんとは思うのだけど、僕も母も出して雛達がどんな状態になってるのか確認するのが怖くて出せずにいるのです。
 多分其の内叔母が見掛けて雛人形達を箱から出して陰干ししてくれると思います。それまではどうか許して下され。

 以下、桃の節句とは関係無い事。
 僕は一度懐を開いて親しくなった友は何年経とうと友の侭だと思ってました。
 どれだけ長い事連絡を取らずにいようとも、一度顔を合わせば打ち解けて胸のうちを話せるものだと勝手に思ってました。僕の幼少からの友人にも僕と同じ考えを持っている人が何人か居ます。僕と同様に「何年経っても友達だ」なんて勝手に思い込んでた友人と共にちょっと落ち込んでます。
 僕達は僕達と連絡を取りたがらないあの幼馴染を親友だと思って皆で一緒に会う機会を作る度に連絡を取ろうとしているのだけど、彼女は僕達とは違う考えを持っているのかも知れ無い。実家同士は非常に近所なのに彼女が結婚の知らせを周囲に決して伝え様としないのは彼女にとって僕達はそれほど重要な位置を占めない存在だからなのかも知れ無い。
 彼女の母が今苦しんでいる病気は僕等の母がかつて苦しんだ病気と同じであるから、母思いの彼女の苦しみが僕等には痛いほど判る。だが、彼女は僕等の母の病歴なぞ知らないからまた以前みたいに自分だけが苦しいのだと思い込んで僕等との関わりを避けているのかも知れ無い。同情や憐れみは要らないと突っぱねたいのかも知れ無い。
 ぐるぐるぐるぐる友達と一緒に考え込んでました。

 考えるだけでは何も生まれない。
 彼女が僕等との接触を好まぬのなら、せめて其の理由だけでも調べようじゃ無いか。