香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303
 香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303

前日朮の「離れて居ても同じ県で不都合が多い」は、たちまち「置県後の統廃合」を促すことになったか。
 1873年2月 高松県、丸亀県、倉敷県、津山県域=「旧(第一次)香川県か」は「(明治4=71年11月、名東 めいとう 県=阿波と淡路の合併)と改称済の徳島県に1875=明治7年9月まで編入される。
 https://www.pref.tokushima.lg.jp/japanese/about/history/
 つまり名東県が管轄した時期は明治4=71年11月~同7=75年9月まで。75年9月には名東県が分離され、「旧(第2次)香川県」が成立する。

 でわ1875=明治7年9月からの県名は旧高松県の中央、香川郡を県名にしたものながら、明治9=1876年■月、今度は愛媛県に編入される。
 この判断を『愛媛県史 地誌Ⅰ』(総論)(昭和58年3月31日発行)は、「明治政府の地方行政策のうえで、四国が面積的に広く、二県に統合することが合理的だと考えられたにすぎない」とする。
 ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)

 曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
 そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・

そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
 記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
 故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載もあるほどなのだ。
 https://yousakana.jp/kagawa/