安田財閥―竪坑採炭 鉄道網拡大・外国航路就航汽船輸送に支えられ炭鉱開発 北海道東部近代化の指標システム―3―
 安田財閥―竪坑採炭 鉄道網拡大・外国航路就航汽船輸送に支えられ炭鉱開発 北海道東部近代化の指標システム―3―

 明治38年=この年 ・春採の安田炭山で第一竪坑(現・春採3丁目)の開削を始める。
 坑内には技術伝承と坑員相互扶助の友子制度が発足する。

 竪坑。それは「垂直に掘られた坑道」「地下深部の炭層を採掘するため」に掘る。
 「ケージと呼ばれるエレベーターを使って石炭を巻上げ、人を昇降させ」
 「降りたところから採炭現場へ続く坑道」とする。
 https://blog.goo.ne.jp/  田川市石炭・歴史博物館のブログ
 
 ちなみに上記で紹介の炭鉱では「直径:約5.5m・深さ:約314mの竪坑」を設けていた、と。
 明治40年9月、鉄道は釧路―富良野―旭川ー滝川ー小樽―長万部―函館間が全通。
 この年、外国輸出材を積載した船が、釧路港から直接、本州そして海外拠点港に就航。
 石炭需要は、硫黄精錬・製紙用火力発電の熱源から、さらに用途を広めた。

 川湯硫黄休山、釧路鉄道営業停止の後継事業は、炭鉱専業の開発会社で存続したこと。
大正9年 三井系の太平洋炭礦(株)が発足。安田財閥の石炭事業は画期を迎える。