ポテンシャルはトコトン、心配なし工夫で 新婚旅行のメッカと危機に岩切章太郎ー下ー
 ポテンシャルはトコトン、心配なし工夫で 新婚旅行のメッカと危機に岩切章太郎ー下ー
 
 島津久永・貴子夫妻についで、上皇・上皇后の旅先も宮崎=1962年であった。
 「新婚旅行ブーム」に火が付いた。全国から新夫妻の入込数。
 『宮崎県観光入込客統計調査結果』は「全国の新婚旅行約100万組の約37%の37万組が宮崎市」。
 「 昭和37年~昭和53年にかけて新婚旅行客約300万組が宮崎市を訪れる」と記載。.

 時代は永く支援を続けなかった。1964年に海外渡航自由化、そして1972年に沖縄返還。
 たちまち旅行先は、海外&沖縄に<転換するトキ>で、あった。
 帰郷の岩切がめざした、その二。「心配するな工夫せよ」。

 時代の脅威。そこを克服する道を岩切は、「景色をどう作っていくか」の延長線上。
 そこに「花の宮崎」「日南の黄金海岸」を描き出すことを考える。

 岩切は3点、めざす。1)に「美しい景色」。2)に「土の香り」、3)に「本来の味がする食」。
 地域の知恵。その伝統と競い合い、そして創造力。
 初回放送=2025年7月8日。「知恵泉 岩切章太郎 南国宮崎・新婚旅行ブーム仕掛け人」nhkETV