<辺境の地>担う電源開発、中枢領域の経済&文化支える 問うことに「電源開発地=植民地」論
 <辺境の地>担う電源開発、中枢領域の経済&文化支える 問うことに「電源開発地=植民地」論

 一つの契機は「2011.3.11」に遡る。東北の山形周辺で声をあげた「電源開発地=植民地」論。
 二つ目はコロナ禍に突入した2020年1月以降、地域メディアに「東北=今も植民地」の論が展開されている。
 そもそも「電源開発地=植民地」は東京電力のエリート社員が、社内に沈流している電源開発地=福島を指し、消費地=首都圏の「上から目線」で発した論だ。

 計画樹立期は「阿寒町史」で調べることとして、阿寒湖から当時は、釧路川を経て太平洋にそそぐ阿寒川流域に、4基の発電所が設けられた。
 発電所から50キロメートルは離れた平地に操業予定の紙パルプ工場と石炭採掘の炭鉱に供給する目的があった。
 北海道の水脈利用は、単一目的で導入される。先行した「木材流送=木材が水面にうかぶ特性を利用し、上流の伐採地から下流の集材地に水の流れを利用し移送する」を中止する契機にも。

 水力発電が主で火力発電が従となる時代。つまり「水主火従」の時から、辺境の地に設置の発電が、人口集積地の経済=石炭&製紙と文化=新聞を支えた。
 1965年前後、その典型は「黒部第四発電所」に象徴される。あれだけの巨額な経費、多くの犠牲、人跡未踏の辺境地に発電所。それは後の観光資源ともなっているが。
 原子力発電。その終息にいたるプロセスを、まったく見通せぬまま、事故犠牲、離郷避難、廃棄物処理。いずれもが<辺境の地>の負担。

 設置主体は、「発電で利益をすいあげ、地域に雇用はつくらない」「原発が地場産業を育てることはない」のが明確になった。
 他方で民俗学者は主張する。「再エネはあくまで、内発的に、地産地消をめざすべきだ」。
 「その土地に吹く風や降りそそぐ太陽、河や森からいただくエネルギーは、地域のあすを創るための糧として生かされ、恵みとなり歓びとなる」。

 「自然再生エネルギー」。そのキャッチコピーのもとに「自然破壊がすすむ」。「電源開発地=植民地」は東北はおろか、北海道にも確実に広がっている。そうではないか。