「春採地内に公園地を豫定して之を標示せしむる」 釧路区長林田則友発 初代釧路郡長宮本千萬樹宛感謝状230821
「春採地内に公園地を豫定して之を標示せしむる」 釧路区長林田則友発 初代釧路郡長宮本千萬樹宛感謝状230821

1分前2023/08/22 火曜日 06:20
「春採地内に公園地を豫定して之を標示せしむる」 釧路区長林田則友発 初代釧路郡長宮本千萬樹宛感謝状230821

『春採公園計画』。そうした題名、自身でまとめた複製資料ファイルを取り出すことができた。
 試算するに30年以上は放置していた綴り。直近で取り組んでいる二、三の用務に役立つ。
 なかに佐々木米太郎氏の手になる『釧路郷土史』の複製部分が出てきた。「第二章 釧路市 第六 沿革」の項があり「感謝状 宮本千萬樹殿」に気がついた。

 40字詰め、12行の感謝状。実に<長文>の部類に達する。
 大正9年7月1日を期して釧路町に北海道区制が敷かれた。初代区長となった林田氏が、同年11月27日付けで発している。

 宮本氏の業績を列挙。なかに到底。現代では許されぬ不穏当な表現、表記の記載がある。
 「眞砂町の市区改正を断行」
 「共同墓地移転」
 「市内に雑居せる旧土人を春採及び雪裡集合移転せしめ土地を給して保護の法を定め」
 「現洲崎町海産干場を整理し」
 「或は根室銀行支店より幣舞橋に至る河岸を官費埋立をなし」
 「此等に依り得たる土地を挙げて釧路村の財産に下付編入せしめたり」

 整然と列挙する。そのうえで、宮本氏の業績を結ぶに近く、以下の項目を記す。
 「就中明治二十年に於て字春採地内に公園地を豫定して之を標示せしむる等、其規模の廣大逆賭するに難からず」。

 史実として語り伝えられながら、語りに示された記録に接する点は、限られてきた。
 そうした領域を紡いでゆく営為。その片鱗を垣間見ることが、できる。記載当時の時代ならでは。<不穏当な表現、表記の記載> が含まれる。
 時代を表現するものとして、そのまま、記載しておくも佐々木氏が記載した当時には、氏が読むことのできた「記録」として記載しておく。