モノ創り基盤の脆弱に由来1884年 地域の経済&文化-2-
 モノ創り基盤の脆弱に由来1884年 地域の経済&文化-2-

 1884年と85年の6月。因幡国八頭郡などからの移住者105戸が北海道東部の地・釧路に来住する。
 105戸中に「師範農」なる篤農家が含まれていた。旧士族移住の一団に、<農>の存在は異色のコトといえよう。
 「旧士族に寒冷地農業を授産」。師範農はとまどったに違いない。「農業経験が通用しない!!」。

そこのところを文学作品でどう、表現するか。本稿は<そこ>が主題ではないのだ、が。
 <本稿の主題>は識者にお任せさせていただいて、<土が育っていない、農業経験ゼロ、非稲作&非養蚕の不適地>。
 師範農にとってある意味、土未成熟・無経験・不適地は三重苦=トリレンマであった。

 論が最初から迂回しているも、北海道東部に吹き込んでいた風。
 それは、モノ創り能力はあるも、必要な技術も経験も、実用上の知識も持ち合わせない階層が、移住対象者であった。
 逆に申すと、<モノ造りの達人、成功者、実績保有者>は、移住をすることなく、母郷にとどまった。

 移住者は<一山>をあてようと、<ニーズのある処、儲けの確実に得られるところに、利益のあがる品を結節する>。
 それで事業が成立。利益が見込まれ、<無いもの社会&流通手段をもたない消費者&利用者>に、「売り手優位」と「(現地生産品は)買い手価格で一手独占」の商いが成立した。

 地域の経済&文化。その停滞を指摘する時に見落とせない点。
 それは本州移住を受け入れた時点で、そもそも<国内水準に適合するモノ創り能力が脆弱>であったにもかかわらず、そこを<地域間競争で優劣を競った>。
 その点に回帰するのではないだろうか。

 今や<地域間競争を超え、国際標準で生き延びる>時代への挑戦が続く段階にある。
 <観光>を申すも、<港湾物流>が注目されるも、<IT&AI>進化のもと新産業構築の時代を生きるも、目と関心を国際視野に広げる時に立ち向かっている。