地震50分前の写真残る大船渡駅 今は廃駅、軌道交通はバス路線に転換230311 
地震50分前の写真残る大船渡駅 今は廃駅、軌道交通はバス路線に転換230311 

 (1993年9月 大船渡駅前商店街)
 駅前商店街の店先の柱に刻された「津波跡高度表示の切り込み」。
 その表示をみながら、筆者は考えた。軒先表示の刻印は「明治29年三陸沖地震」、「昭和8年三陸沖地震」。
 いずれかの地震でうけた津波被災による津波到達点の標示と考えられる。
 東日本鉄道会社・大船渡線大船渡駅。旅先のこの地で、避難するなら「この場所=大船渡駅」。

 (東日本鉄道会社・大船渡線大船渡駅は、2011年3月11日被災で全てが失われた)
 のちに東日本鉄道会社・大船渡線大船渡駅の標高を確認しようと調べてみていて、判明した。「初の訪問地で津波被災したら、大船渡駅舎に避難」というは、間違った判断なのだ。そうしたことを思い知らされた。

 2011年3月の被災で大船渡駅は、駅舎や関連施設の大部分を失い、バス輸送に代替され廃駅となっている。

 (津波で駅舎流失=地震発生50分ほど前、資料館職員撮影の駅舎内写真がネットにアップ)
 <商店街より高度差のある地点にあった>とする記憶があやまりなのか、それまでの体験と記録を超える津波の高さということか。駅の位置は移転し、輸送方法も施設・設備も変更した<想定外>の津波被災。そうした結果に当面してきたことになる。
 かえりみるに「平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」(以下、本論では「東日本大震災」と記載)は、そうした「過去の体験」をうわまわった、甚大な被災であった。
(佐藤宥紹著「2.三陸沖地震地帯での見聞体験」 酒井多加志監修『釧路の自然災害と防災・減災』 2022年3月 釧路市発行所収)