由緒・出自・作品に秀逸 「110年前のひな人形 令和の節句彩る」230302.
「110年前のひな人形 令和の節句彩る」 市内を中心に配布の紙面一面に掲載された。 110年前。さかのぼること1913年のことであり、「父が京都へ反物の仕入れに行くたび」に「今年は三人官女だよ、ひな壇が増えていった」。
 今に継承するお方は、そう語っておられる。注を付しておくと、談話にある「母」は、語り部の「母」のこと。つまり「父」は祖母にあたる。

 紹介に、次の点がある。
 「(人形の)衣装は正絹、お道具も全て蒔絵、正装、本塗りと現代では考えられない由緒正しい品」。
 公開の<ひな壇>は由緒があって、往時の職人が精魂こめた作品。当時は「名家、富裕家庭に備わる水準」の逸品。そういうことに、なるはず。

 というのも、この記事に紹介された経緯。
 それを山形県は酒田港。特産の<紅花で造る紅玉>を京都の染物問屋に卸す商家の習慣を見聞したことにある。
 茜。その色合いを発する天然染料を、はるばる東北から機内に届ける。

 帰路、紅花商人は愛娘の成長を楽しみに、「内裏」「三人官女」「五人囃子」「調度品」と年次を重ねて調達した、と。
 毎年、肥前・佐賀の公益財団法人鍋島報效会 徴古館では、鍋島家旧蔵の「ひな人形展」が開かれる。
 今年も2月11日から3月21日まで「鍋島家のひな祭り 会期中無休」を開催中、と。

 というのも、<ひな檀>が庶民の家庭に普及するのは、関東大震災後に百貨店が売り出したことが、契機であると。それを筆者は1980年ごろに承知した。
 鍋島家など大名家や、京の貴族の末裔は<一括調達>が可能であったはず。東北、北海道の名家には、それは<高嶺の華>であったかも。

 そうした思いめぐらす3月2日、『釧路新聞』一面に記載の「110年前のひな人形 令和の節句彩る」。
 そこには、「遠かった日の釧路」の一コマが投影されていた。
 記載のほかには天然染料で仕上げた衣装が、合成染料には叶わない深み・奥行・風合いを増しているはず。
 ここに願わくは継承する女系の繁栄を、これからの時、処、機会で願い、<継承されているお方>にエールを送らせてもらうことに。

 由緒・出自・作品に秀逸 「110年前のひな人形 令和の節句彩る」230302.