渡党
「渡り党」「日ノ本」「唐子」 広域空間の意味区分230205.

北海道島、樺太、千島列島。三者を<混沌>としながらも本邦北方広域空間に、「渡り党」「日ノ本」「唐子」の三区分をもたらした。
そこは諏訪大明神の<神威>の到達点の北限。そうした意味があったのだとされる。
1356年、『諏訪大明神画詞』に記載の一文に、いま、目配りをしている。

「蝦夷ケ千島」は、「日の本唐子渡党此三類各三百三十三の島に群居せり」。
化外の民は三類にわかれ、三百三十三を千島と計算して、そこに「群居」というわけだ。
三類の民は、二つのグループにわかれる。そう述べる。1)は「渡党」と呼ばれる集団。

渡党は「宇曾里鶴洲」と「満堂宇満衣丈」なる二地域に分かれて居住。
ここに記載の「宇曾里鶴洲 うそりけし」は「箱館」に相当、「満堂宇満衣丈 まっとうまい」は「松前」に相当することが判明している。 
つまり箱館・松前を中核とする「渡党」は、「奥州津軽外の浜」に出かけて行って交易をする集団。

しかもその数は「一把六千人」ということだから、集まるときは「百千把」にもなる。そう書いてあるではないか。
今日、判明。「各三百三十三の島に群居」は、北海道島、樺太、千島列島に集約される。
うち、渡党は北海道島の西部たる「渡島 おしま 半島」に住する集団ということになる。