大正期の織機復元 隣国・越後の技術者 「未来への挑戦 受け継ぎ 切り開く〜福島 会津の工芸品〜」
大正期の織機復元 隣国・越後の技術者 「未来への挑戦 受け継ぎ 切り開く〜福島 会津の工芸品〜」230123
 イッピン・選、初回放送日: 2020年11月17日の再放送を視聴して一筆。
 配偶者の出身地に戻った男性が、そこで取り組むことにした「会津木綿」の復活。
 往時の工場の片隅で見つけた木綿織機をためらわずに譲りうける。自身で復元に取り組むが。

 サビを落とし、クリーニングを施し、注油してまずは動くまで復活させるのだ、が。
 織り初めてみると、糸が始終切れてしまって製品の質を維持することが難しい。
 番組案内に申す。「昔から織られてきた「会津木綿」は、織元が激減し将来が危ぶまれていたが」。

 そちこちの工房に連絡するも、なにしろ。
 「100年前の織機を蘇らせ」るには、至らない。そこで手をあげてくれたのが、越後職人。
 放送は「織機の動く音を聞くと、どこが不具合かすぐにわかる」。

 後継者が見落としていたサビを除去。不具合の部品は設計書を書いて、再現。
 新部品を装着して織機を蘇生する。今や従業員数名の会津木綿織り職。
 番組案内に示す。「織元が激減し将来が危ぶまれていたが、地元の若者たちが100年前の織機を蘇らせ、現代風の新製品を生み出し」。

 江戸時代から越後と陸奥国の間には「三国街道 みくにかいどう」を通じた交流があった。
 「三国街道」は「関東と越後を結ぶ街道。近世,主要な脇往還の一つ。中山道の高崎から分岐し,三国峠を越えて越後にはいり,長岡に至る」。
 越後の宮大工が陸奥国で腕をみがいた話は承知しているし、長岡、与板、村松の各藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟港巡検の関八州取締出役が、往来した。

 会津木綿。その織機を救った技術者が新潟の人。
 そう伝えられて越後の潜在能力を目の当たりにする思いがした。両地域をむすぶ、今は目に見えない結節。
 心強くもあり、たくましくもある。そうではないだろうか。

 イッピン・選 「未来への挑戦 受け継ぎ 切り開く〜福島 会津の工芸品〜」230123