生産者価格の形成 前貸資本に抗して 嵯峨久寿像「魚市場開設」221022ー後ー
 生産者価格の形成 前貸資本に抗して 嵯峨久寿像「魚市場開設」221022ー後ー

 「釧路漁業の父」。そのように評価されて建立された嵯峨久頌徳碑。
 その業績は次の三点に要約される。「漁船動力化と発動機船組合」(大正9)、「漁業専用漁港」(昭和3-14年)、「魚卸売市場」(昭和13年)。
「魚卸売市場」開業が、その最後にあたる。

 その所以を「前貸資本統制下からの生産者独立」。 そのように位置付けてみた。
 そこで「前貸資本」とはなにか。
 22年9月3日、「吉良平治郎の生涯と時代背景~今に、読み解くこと~」と題して話をしておいた。
 掲載図、右隅の6行である。

 ポイントは4項目。「販路独占」「(生活資金とう)着業前から貸し付ける資金力」「産物の独占的買い入れ」「買い手本位の価格と金利設定」。
 鮮魚漁獲の技術があっても、販路をもたぬ近世の出稼ぎ漁業者、近代の自営漁業者にとって「販路なき」は「生殺与奪の権利」を商人に、握られてきていた。
 その商人の独占的買い付けを排除する。嵯峨久が苦慮した点は、実にここにあった。

 導入の話に立ち返る。「今日の働きに応じた日当を、帰るとき現金で渡してもらえますか」。
 会社訪問の若者は、その日の働きを手に「ネットカフェ」に向かうのか、ホームレスで過ごすのか。
 宿なし、生活拠点なし、食事の賄なし。コンビニ三食を揃えて翌朝、会社に向かう、着のみ着のまま。

 この労働と雇用の形態。実に18世紀末からみられる北海道への出稼ぎ労働、近代において展開した自営漁業労働の、プリミティブな存在形態なのだ。
 秋田県出身、根室商業学校に学んだエリート漁業者の、生涯かけて腐心した事業。
 それは「前貸商人支配からの独立、漁業生産者に有利な価格形成をめざす一つのカケ」とも言える。

 難業実現の背景に、昭和10年。東京・築地市場など近代都市型の生鮮魚流通の全国組織の形成があった。