「石油禁輸」解除は二段階で 木炭自動車の終末220913
「石油禁輸」解除は二段階で 木炭自動車の終末220913

 1949(昭和24)年
 「GHQの占領政策の転換から石油に関する制約が解かれると、翌50(昭和25)年から輸入が再開」。
 1952(昭和27)年
「燃料油の配給及び価格統制が撤廃され、燃料事情は急激に好転」と。
 https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa35.html
     アジア歴史資料センター「「公文書に見る戦時と戦後 -統治機構の変転-」

 7月13日の夕方。釧路湿原シニア大学の講座を終えての帰路。
 路線バスの停留所に待ち人が居られて。「そうだ去る日、『木炭自動車の話』をしてくださったヒト」。
 思い出して一声かけさせてもらった。「バス会社に入ってサー、まもなく(木炭で走るバスは)なくなった」。
 「あそこ(幣舞橋のこと)(幣舞橋のこと)を渡るとき、バスが動かなくなってしまってサー」「(自分は)なにもしなかったが、運転手はたいへんだったぁー」と続けてくださった。

 念頭に「木炭自動車、その終末は、いつなのか」。かく過=よぎ った。彼女は「(木炭で走るバスに載っていたのは)そんなに、長い期間ではなかったけどサー」。
 その場では、「あのね、木炭バスに乗って、サー、その歳の正月は迎えたの?」。
 それから「次の年」は、どうだったー、正月を迎えても乗っていたかーい。

 思い出してもらうことを約したところでバスは到着したが・・・・・。
 帰宅して反芻。ネットで調べると、冒頭の記載があった。
 彼女の入社の年にGHQは我が国への「(石油)輸入が再開」されていたのだ。釧路市のバス会社にも「輸入が再開」の恩恵があった、はず。

 「今日もバスは止まらないかしら」。15歳乙女の杞憂は、それほど長くは続かなかったはず。今度は聞いてみよう。
 「あのさー、厳島神社の祭典のころにも木炭自動車は走っていたかーい」