頼朝墓所再訪 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)
重豪 しまづ・しげひで 江戸後期の第9代薩摩(鹿児島)藩主,島津家第25代当主、生年:延享2=1745年生まれ-天保4.=1833年没、と。

 頼朝公の墓所に詣でた。
 昭和41年2月に続き、 2度目。墓塔への昇降口の案内板に、「現在の塔は島津重豪が整備したものとされています」とあった。
 記載を物語るかのように、 石香炉には島津家の家紋「丸十」が彫り込まれる。

 どうも、源氏政権が北条政権に継承されたところで、断絶があるらしい。
 頼朝公墓所の西に「法華堂」があり、墓塔が設けられていたが、島津重豪の時代といえば江戸中後期に相当する。
 整備を担当したのが西南雄藩を代表する島津公である点に、注目しておきたい。

 その法華堂は頼朝公の持仏堂であった。法華堂は「江戸時代ニハ八幡宮供僧坊ノ管理ニ属セシカ維新後廃セラル」と、廃阯は維新後の後であったとされている。

「史跡名勝天然記念物 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」(案内-抄-) 法華堂阯ハ西御門ニ在リテ頼朝墓ノ下西側ニアリ、始メ頼朝ノ持佛堂ニシテ其ノ薨去後其ノ廟所トナレリ 江戸時代ニハ八幡宮供僧坊ノ管理ニ属セシカ維新後廃セラル
 今地域内ニ白旗神社ノ小祠ヲ祀ル
 法華堂阯ノ背後ナル丘陵ノ中腹ニアリ長方形ニ石疊ヲ敷キ土鏝頭ノ上ニ高サ七尺ノ多重塔一基ヲ建テ石玉垣ヲ周ラセリ (220524 訪問)