中世鎌府の表鬼門 鶴岡八幡宮220524
 中世鎌府の表鬼門 鶴岡八幡宮220524
 鎌倉幕府-源氏政権の都府構造を理解するうえで、お目にかかるのは鶴岡八幡宮。

 鎌倉駅東口を出ると目にとまるのが「朱色の鳥居」。近くに「近道」の表示があって、すすむと大鳥居、そのかたわらに到達する。

 モノの本には 
 「京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり」
 との解説がある。

 「以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった」。
 「建久2年(1191年)に、社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した」。
 「承元2年(1208年)には神宮寺が創建」と続く。

 階段を昇って拝殿に向かい、拝礼後に磁石をとりだして方位を確認。磁針は確実に北東を指していた。
 拝殿は北東に位置する山稜を背に、政所・侍所・問注所を見下ろす地に位置することに。

 「鎌府(れんぷ=鎌倉市の中心部相当地域)の鬼門」。その位置にあるのだと、確認。本所を表鬼門にすえ、では裏鬼門は。帰省してきがついた。どうも高雄寺の「鎌倉大仏」が<裏鬼門>にあたる、らしい。

 かく見立てたのであるが。