「自分で探す」時代の象徴 媒酌人不在の結婚祝賀会220505
「自分で探す」の象徴 媒酌人不在の結婚祝賀会220505

早朝午前3時すぎ、夢に追いかけられて目がさめた。
「足袋を忘れた、ホテルで借りなければ」に続いては
「そうだ新婦の経歴、なに一つ知らぬ」。
足袋レンタルを依頼した後のエレベーター内で、配布 予定の略歴紹介を探すも「見当たらぬ、大変」。

そこで目がさめたが、目覚めて気がついた。「当節、祝賀会で媒酌人挨拶など、プログラムにない」と。
起きて考えた。「でわ、いつから媒酌人挨拶は、祝賀会から消えてしまったか」。いかがで、あろうか。
「ぬくもりのある『新厚岸町史』を書いてください」と、注文があったのは1999年。

そこから、その内容とはなにか。「市民生活」。
そうした項目が必須となるも「現代史」のなかで評価して記載はなかなか、厄介。
結婚の形態。1970年を期して「恋愛結婚が見合い結婚のカップルを超えることに」。

にもかかわらず、結婚祝賀会を企画・運営するものに無視できないのが、「来賓挨拶」。
なかでも、「媒酌人挨拶」は「本当に必要か」。実は「見合い結婚」の時代には不可欠だったのだ。
本稿はその点を論ずることが目的ではない。

それぞれの地域において、「定番の祝賀会写真」。
写真のなかから媒酌人夫妻が消えたのは、いつか。また、その定義づけは何であったか。
どなたか、ご存じのお方は?。