15歳女性の学習機会 市立と庁立の高女継承220422
15歳女性の学習機会 市立と庁立の高女継承220422

全焼したのは昭和40年4月末日のことであったと記憶。連続休暇の入り口で発生したと記憶。
昭和37年からこの校舎に通学するのだが、2階建て校舎の階をむすぶ階段にある種の<趣>があった。
中央の階段と東側の階段。「手すり」の造作と「踊り場」の配置が個性的であった。時々、学舎内を歩き、その特異を愉しんだ。

のちに知る。その学舎は昭和14年の建設。
釧路市立女子高等小学校と釧路市立実科女学校の女子生徒のために設置された校舎であった、と。共に2年間の過程。
当時の前期中等教育は、小学校卒で進学する高女4年制と高等科2年+実科女学校2年。二つの教育制度があった、ということ。

昭和22年4月から実施の戦後教育制度「6・3・3・4制」は、「二つの教育制度」を一本化することを求めた。以下、順を追って知るところを記しておきたい。

①「釧路市立実科女学校」はのちに「釧路市立高等女学校」となります=昭和18年。
②戦後、6・3・3・4制で新制高校が発足するとき、「釧路市立高等女学校」は「北海道庁立釧路高等女学校」に統合され、「北海道釧路女子高等学校」となります(卒業生名簿など校務文書はのちの江南高校に)。
③②は一行政区域内に二つの新制女子高校は不要とする北海道庁の方針により、「釧路市立高等女学校から釧路市立女子高等学校への移管が認められなかった」という経過があります。
④このため、釧路市はのちに釧路市立家政学院(のちの北海道釧路星園高等学校)を発足させます(釧路市立高等女学校の校旗は星園高校に)。
⑤つまり釧路市立高等女学校は、制度的には北海道釧路江南高等学校の前身ということになりますが、理念としては北海道釧路星園高等学校を開校することになる。そのように整理するべきかと考えています。
⑥これまでに、「昭和2年生まれの女性が『のちの江南高卒』としているのは間違いではないか」と照会がありました。①~⑤の経過に照らし、次のように回答したところです。
⑦質問者の疑問は理念に照らし<もっとも>である。しかし制度の移行に照らし「のちの江南高卒」は正当である。そのようにお答えさせていただきました。