「相依りて立つ藁 縁起」の概念220415
「相依りて立つ藁 縁起」の概念220415. 世に「解字」の概念がある。
それは「文字(漢字)の意義を解明すること」「文字の成り立ちを分析する」と示される(『広辞苑』第七版)。

「人」。では「人」の解字はいかように示されるか。
「人の立った姿を描いた象形文字」にして「もと身近な同族や隣人仲間を意味した」とも。
さらには「二つくっついて並ぶ」や「そばにくっついている相手」。ほかには「相並び親しむ人」などつながりを中核に位置づけるとする。

1965年ころ、増谷文雄著『仏教百話』で読んだ記憶。原始仏教の訳であった。
それは「二つの蘆束は互いに相依りて立たん」の<比喩>=あるものごとを別なのものごとに見立て、なぞらえる表現。それで読んだことがある。 
「サーリプッタ(舎利弗)は「二つの蘆束は互いに相依りて立たん」と説いた」。「縁起の公式:増谷文雄博士は、次の表現を「縁起の公式」と呼んでいる」
「これあればこれあり、これ生ずればこれ生ず」「 これなければこれなし、これ滅すれ・・・・・・」。

別な観点で「それは『縁りて』ということばと『起ること』ということばとが結合して成った言葉である」。
「つまり、なんらかの先行する条件があって生起すること、というほどの言葉であって、それを翻訳して中国の訳経者たちは、『縁起』なる述語を造成したのである」。
今、「藁=わら」を「人」に置換して考えると、縁起の意味が少しは見えてくる。

ますます難解であるか、自然科学の領域では、<縁起>とは<化学反応の結果>とする理解でいかが。
物質=ここでは元素記号であらわされる「因=いん」が、さまざまな説明いたしかねるつながりによって結合し、水、炭酸ガス、硫化硫黄、有機水銀などなど<果>をうみだしていく連鎖。因となる炭素なり水素なり酸素が組み合わさり、多様な物質=果に相当の化学物質をうみだすではないか。そこに内在する、目にみえぬ化学反応。それが縁起に相当。それは言い過ぎであろうか、言葉足らずであろうか。「なんらかの働き」。それは実感できるのかも。

思想の系譜でも推移をたどる。それは3段階に区分される、と。ネットなどモノの本には豊富ながら、少しく注釈が必要である、か。