津波被災標識

1975年頃の時点で、当時の日本国有鉄道北海道支社釧路鉄道管理局管内の白糠駅前に、一基の木柱があった。
「標高は6.8メートル」の表示と、津波への注意を促す標識」であった。モノクロ写真で撮影したはずながら、そのデータはどこへ収まっているものやら。

220330。現地をたずね、その現場を確認してみることにした。白糠駅前は整備され、記憶にあった「木柱」は駅前から撤去されていた。
転じて、そのヨスガを残すオブジェクト。それに相当するのであろう標識がった。近年、いたるところに「この位置は標高■メートル」のサインを見る。
しかし、この地点の標高標識はひと味、異なる。柱の頭頂部に「▼10M▲」の表示があって、そこに往時の木柱の伝統を示している。

往時の木柱は、この地域には希有な「津波到達高度」を示す「自然災害被災碑」の一つであった。
1954年ころ刊行の『白糠町史』に「マサルカの地からキラコタンへ津波避難」した伝承があると、記載された。
キラコタンは「逃げ込んだ・ムラ」の意で、「マサルカの地から、津波避難でキラコタンに避難して救われた」の伝承がオブジェクトで伝承と心得てきた。

その上で、以下のように記載してみたのであるが。
「また白糠町の白糠駅前広場に「標高は6.8メートル」の表示と、津波への注意を促す標識がある」。
「ここでは、本節の記述に必要な観点で一点のみ言い及ぶ」。「自然災害伝承碑にせよ注意喚起の標識にせよ、造像・造塔のオブジェクトに相当する」。
「つまり文字・記録によるメッセージである」。
その意とする点は、「記憶を風化させぬためには、オブジェクトをしつらえるだけでは忘れられる」「伝承の口伝えがなければ」。いかがであろうか。は形による伝承にして、かつ危機意識の継承と整理できる。けれど抑揚、感情、肉声の温度を感じるや否や。