「江戸時代」「異域との境界」「幕藩体制下の蝦夷地寺院」 史跡国泰寺跡220206
「江戸時代」「異域との境界」「幕藩体制下の蝦夷地寺院」 史跡国泰寺跡220206.

1.「江戸時代のたたずまい」ーその伝統を伝える
 1)天保・文政惣修復の遺構(斉藤報恩会蔵「(安政6年)国泰寺図」
 2)造塔・造像、国指定重要文化財国泰寺記録、霊園の無縫塔
 3)十町四方の風除林
2.「異域との境界」ー「メナシ=東方文化圏と遠隔地航路の接点に位置する史跡」
 4)千島アイヌ民族生活圏と本州隔地間交易の中継地
 5)蘭・露・仏・豪船の来航記録
 6)アッケシ・江戸直航路の起終点
3.幕府直轄政策下の遠隔地寺院
 7)幕藩体制の境界に位置する蝦夷地寺院
 8)蝦夷地本州化を体現、入稼ぎ者に本州文化
9)メナシ=東方社会で国家安泰の営為

※「北海道文化資源データベース」 ■「国泰寺跡」=概要・見所
 臨済宗国泰寺(現・南禅寺)は、江戸時代後期にロシアの南下や場所請負人制度の弊害などにより、北方警備に危機感をもった箱館奉行の陳情により1804(文化元)年に建立を決定した「蝦夷三官寺」の一つです。
 現在、残っている建物は、大半がそののち改修されたものですが、境内には江戸時代のたたずまいが残されています。
 現在、周辺のアイカップを含む、約13万㎡が蝦夷地で特殊な歴史を物語る重要な寺であるとして、国指定史跡に指定されています。また、この寺には、初代住職から約60年間書き継がれた寺務日誌の「日鑑記」が残されています。