「孤独のなかに置き去りにしない」 ビハーラ運動9th in 厚岸町210904
「孤独のなかに置き去りにしない」 ビハーラ運動9th in 厚岸町210904。

 『苦が聞かせる言葉たち』のタイトルで、2時間強の講座
 看護師にして、のち本願寺派僧侶に度した方の講演。

 あそか花屋町クリニックで理念としている「ビハーラ運動」の、今回は新しい切り口。
 それが、「孤独のなかに置き去りにしない」。

 これまでは、
 「患者の生活の質、生きがいを全うさせるケアやキュア、そのプログラムと体制」。
 そういうことであったと、思う。
 事実、講演の途中で参会者に、質問が発せられたので、「第8次までの講座の主唱点は、そういうことと受け止めている」ところであるが。

 ほかにも、「診療所施設に僧侶が常駐する体制って、『少ない』とおもいますが」とも。
 そこは同診療所が「皆様の心に寄り添える話しやすいクリニックとして邁進」の主唱点と重なる点ではあるが。

 未病。
 「診療所施設に僧侶が常駐する体制」について講演のなかで、「未病」という概念を示された。
 医師・看護師・薬剤師・理学療法士などの職種は、西洋医学の「病気になっているから、薬物・手術・放射線」と対応する。
 しかし、東洋医学は「病気にならないように、病気になる前の過程で、食事・漢方薬・生活習慣から始める」。
 つまり「医食同源」「薬食同根」「身土不二」の理念によって、「寄り添える話しやすい」に基づくスタッフの配置と、整理できるのであろう。

詠歌三首 和泉式部
子は死して たどりゆくらん死出の旅 道しれずとて帰りこよかし
とどめおきて だれをあわれと思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり
夢の世に あだにはかなき身をしれと 教えて還る子は知識なり

和泉式部は疫病で、娘・小式部をあっけなく失う。
娘を失い孤独に陥ったハズの式部が、詠歌を通じ「孤独から解きはなたれる」。三首目「教えて還る子は知識なり」
最後の三首目は、「無常観」を詠じている受け止め方もあるであろうが、むしろそれが一般的である。しかし、三種を並べてみると、初めの二首は「往相」を歌うようであり、最後の首は「還相」の働きを示しているようにも、受け止められないか。

(以下、東洋医学の四字熟語)

 医食同源・・・食事は医療の根本。病気を治す薬と健康を増進する食事とは、本来根本は一緒。日常の食生活に留意することが大切だとする東洋医学の考え方。
 薬食同根・・・薬食同根 もしくは 薬食同源 が中国的な表現。
 身土不二・・・季節にできる作物は、その季節に食べるといいもの。土地でできる作物は、その土地の人にあったもの。
 同物同治・・・体の中の不調な部分を治すには、調子の悪い場所と同じものを食べるのがいい、という考え方。肝臓の悪いときには、牛、豚、鶏などの肝臓(レバー)。胃の病気のときは胃(ガツ)。心臓が悪いときは心臓(ハツ)。腎臓疾患のときは腎臓(マメ)。それらを食べると、回復に役立つということです。中国では、副生物が精肉以上に大事にされ、値段も高いといいますが、それにはこうした健康に対する考え方も、大きく関係している。

 最高位の医師は「食医」=王の食事の調理・管理を任されていた。
 食医に次ぐランクは「疾医=で今の内科医系医師。
 次は「瘍医=今の外科系医師。ともに食事が治療の重要な位置占めていた。
 ちなみに4番目のランク=獣医。