産業支援のフルセットシステム 本州経済補完の北海道近代化ー1-
 「生家」なのか、「生業地」なのか。
 小生の知っている小松家は南大通一丁目で、最初の店舗  は『(大正2年かの)釧勝根北写真帳』に載っていたかと思うのですよ。



 伸六さんはどこで育ったのでしょうねー。

 確かに北大通5丁目に店舗を据えた。
その繁盛ぶりが遊学を可能にし、また錬平氏の輩出など、その経済力は注目しなければいけない。ここが論点の第一。
 小松伸六、錬平兄弟に注目しているが、あわせて次の3点も。
1)旧制高等学校で学んだ意味と意義、
2)「自身をかえる、自らを進化させる」の生き方、
3)論壇を育てた、メディアの発展に貢献した業績。いずれもナショナルスタンダードで評価を残した。

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