塩硝・木炭・硫黄 江戸時代の火薬。
塩硝・木炭・硫黄 江戸時代の火薬。

寛政期のロシア、嘉永4年と海防が強化されていくなかで、
 幕府は塩硝を継続的に大量確保するために、関東各地で生産される塩硝を請負人を通じて買い上げる制度を設けた。

享保年間から、塩硝は武州秩父産と上州産のものであった。19p。
 ところが18世紀末から19世紀初頭にかけて、これまで塩硝の生産地でなかった地域からも塩硝の出荷願いが出されてくる(20p)。

 中西崇著「近世の塩硝生産と火薬製造」(『史観 154冊』)。
 中西崇「近世の塩硝 ・​硫黄生産と火薬製造」。

 「富山県五箇山は、現在、世界遺産の合掌造り集落として有名ですが、江戸時代には、日本最大の塩硝(焰硝)の産地でした。 火縄銃で使う黒色火薬は、硝石75​%、木炭15%、硫黄10%を混ぜて作りました。しかし戦国時代 ... 江戸幕府の目の届かないこの場所で「塩硝」づくりを行い、「塩」と偽り、山道の秘密のルートを通って加賀藩に収められ、金沢で黒色火薬が製造されたと言われています」
https://go-centraljapan.jp/route/samurai/spots/detail.html?id=127 


硝、塩硝とも表記されるが、これらの呼称は、硝石と硫黄に炭の粉末を混合することにより黒色火薬を. 製造できることに由来
鉄砲伝来からほどなく、日本でも硝石を古い土から抽出する方法によって生産がおこなわれ、自給される. ようになり、
日本近世の焔硝生産法. 嘉永七年(一八五四)の佐藤信淵『硝石製造弁作焔硝製造方』によると。