「掘り割りのマチー佐賀市-」 「よみがえる新日本紀行」nhk4K2100607
 城下維持の掘り割り 護持に汗する市民=高度経済成長期。



 「(往時は)幾重にも外堀を巡らし」「攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組み」。
そう説明のある佐賀城下。

 「江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用」
 「城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えた」。

 気がつかないで二度、佐賀の市内を歩いたことが。延べ6日間、滞在した記憶。
 1974年放送という「新日本紀行」。戦後、しばらく放置していたその水路を清掃する市民が増えている。
 
 長崎街道も、松原神社も紹介された。そう受け止めながら、かつての米生産地。「佐賀段階」と呼ばれた、鍋島家の施策を興味深く視聴。

「掘り割りのマチー佐賀市-」 「よみがえる新日本紀行」nhk4K2100607

 (番組案内)
 「鍋島藩時代の掘り割りが多く残る佐賀市を訪ねた」。
 「生活用水としても重要な役割を担っていた掘り割りの水」
 「時代が進み、生活用水としての役割は終えたが」、
 「いまも市内の治水のかなめとして、生活に潤いを与えるものとして暮らしに溶け込み、市民は親しみを込めてクリークと呼んでいる」。