奈良朝造営の庸役で育つ 飛騨千年の工匠 nhkG「工匠の里 新日本風土記」210502
 奈良朝造営の庸役で育つ 飛騨千年の工匠 nhkG「工匠の里 新日本風土記」210502。



 釧路市共栄大通。この界隈で創業90年の老舗・片山ホームセンターは「飛騨の匠」を普及する。
 その源泉と意味はいずこに。応えたnhkG「工匠の里 新日本風土記」210502、

 飛騨の技術は都の建設で鍛えられ、千年の伝統をもつ、と。
 租調庸。古代税制その一つが「庸 よう」であったが。飛騨国の住民は建築工事で奈良朝の都造営に、動員されたと。

 かくして鍛えられた建築・彫刻、その総集成としての「山車 やたい」の修復と運行。
 「山車」を「だし」とは読まずに「やたい」と称するが、「飛騨高山流」ということか。

 nhkG「工匠の里 新日本風土記」は1972年の放送番組。春の祭りにむけて、修復がはじまる。

 「一刀彫」。
 龍の彫刻を刻み、山車の下段に配置の品をまかされるのは、「名工にのみ許されてきた」
 腕一流の誉れ=ホマレとされる。

 小学生の全国版画コンクール。
 特選の栄に輝くのはきまって、飛騨の小学生。
 しかし、飛騨の春の雪には「飛騨の女の悲しみの記憶」と、ナレーションは展開。
 「ああ野麦峠」の碑。製糸女工として12、13歳の女児も動員され、結核に死して峠を還れぬ者が多かった。

 「漆をとき和紙で漉す」
 山車の屋根を塗る作業が、「屋台を塗れば一人前」。
 ある意味、年齢階梯制+技術水準の質的保証のシステムというべきや。

 春の祭りを明日にひかえて、山車庫の扉が開く。修復を終えた装飾の「晴れ姿」がマチを練り歩く。
 その数、12台。「歴代の匠の技競う」の一大パレード。

 飛騨の匠の源泉と意味、それに伝承のシステムを見た。そのおもい。