「願いごとが叶う」 or 「思うようにならぬとき」 どちらの信仰か
「願いごとが叶う」 or 「思うようにならぬとき」 どちらの信仰か。



 小豆島の西国八十八カ所霊場の庵であろうか、「願いごとが叶う」の敬意、拝礼をすすめていたが。

 そこで考えてみたい。
  「願いごとが叶う」は結構なことで、「そうなって、ほしい」はヤマヤマながら。
  
 「生」のレベルはともかく、「病」「老」「死」はとどめようもない。そうではないか。
 「老」を否定するなら、どうなるか。
 生まれたてのまま90年も生活するなど考えられないし、老いと病があるから、診療所も医療職も、保健のすステムもある。

 「通過儀礼」「宗教」「臨終を見守る家族と医療職」「初めてあった人の遺体」。
 看護師養成施設の「比較文化」授業。

 無宗教。
 その発言に人類は、「この2000年、宗教の装置を提示し多くの聖職者を育ててきた」。そう答えることにしているのであるが。